彼(彼女)から振られた!もう生きていても仕方がない! そんなあなたの憂鬱な気分の対処法

「あー鬱っぽいな」
と思う時って結構ありませんか?
だけどそもそも鬱とはどのような感情でしょうか?
そしてどのようにこの感情に私たちは対処できるでしょうか?
ここでは
・鬱という感情とはどのような感情で
・どのようか対処すればよいか
お伝えします。

鬱とはどのよう感情なの?

鬱という感情はどのような時に起こるのでしょう?
鬱は何かを喪失したときに起こります。
例えば、恋人との別れ、失業、あるいは自分能力の低下を自覚した時がそれにあたります。
何かを喪失した後には、人は多くの場合、自信も喪失します。
鬱状態に陥ると、それまでの楽しみや、熱中していた活動から距離をおくようになり、なおさら鬱がひどくなります。

鬱状態の人は自分、世界、自分の将来の3つに関して悪く考えます。
(例:「自分はダメだ」「世の中は腐っている」「これ以上生きていても、しようがない」)

鬱を引き起こす原因は3つあります。

  • 自己卑下
    自分の失敗を悔いて絶えず自分を責めます。
    (例:私の結婚は失敗だった。私は何もうまくできない)
    自己卑下を抱えて自分を責め続ける限り自分の欠点を直すことはできませんね。
  • 自己憐憫
    人生の不幸を憐れみます。
    (例:私をフルなんて。私の人生はおしまいだ)
    確かに人生はしばしば気まぐれで時には不公平です。
    しかし自己憐憫に浸って「自分はこんな風に扱われるべきではない」と思う時これまで自分が受けてきた良い扱いを忘れているものです。
  • 他者憐憫
    他人の苦痛に同情します。
    (例:なんてかわいそうな。みていられないわ)
    他者憐憫をいくらあなたがもっても、人の不幸を嘆くだけでは、
    実際に人を助けることはできません。

鬱と悲しみは一見差がないように思われます。
例えば、「彼(彼女)から振られて悲しい」
と、愛する人から振られて悲しまない人はいないでしょう。
悲しみは、喪失というネガティブな出来事を現実的に認知する事で生まれます。
したがって悲しみは健康的な感情といえるでしょう。
他方
「彼(彼女)に振られた。
これ以上生きていても仕方がない」
というように考えた場合は、鬱となります。
なぜなら、彼(彼女)から振られても、生きていくことは可能だからです。
これは心の奥底で彼(彼女)が失った事実を受け入れていないからです。
もし、喪失を受け入れられているなら、「これ以上生きていても仕方がない」
という発想にはならないでしょう。

鬱への対処法

このような鬱への対処法はいくつかあります。

REBT(Rational-Emotive Therapy)のABCモデルで分析してみよう

下記の記事でも紹介しましたが心理療法家のアルバート・エリスREBT(論理療法)のABCモデルでは
A(activating event=出来事)
C(consequence=結果 感情と行動)
をつくりだすのではないとしています。

A(activating event=出来事)を経験し、
その出来事はその人の
B(belief=信念)に基づき認知、評価、検討され、
C(consequence=結果 感情と行動)
を生み出すのです。

したがって、B(belief=信念)変えることができれば自ずとはより適切な悲しみに変化させる事が可能です。

怒り、不安などの不健康な感情に振り回されなくなるABCモデルって何?

果たしてネガティブな感情はいらないのか? 朝起きて、満員電車に乗れば、隣のおっさんの息が臭くてムカつく。 会社ついたら、出世頭の同期とすれ違う。 「なんであいつは…

上記の例をABCに分解してみましょう。
A(activating event=出来事)
「彼(彼女)から振られた」です。
C(consequence=結果 感情と行動)
感情は鬱です。
B(belief=信念)
「彼(彼女)ほどの素晴らしい人に二度と出会うことはできない。そんな私の人生はおしまいだ」
ですね。
このビリーフをアルバート・エリスはイラショナルビリーフ(固定的信念)と呼んでいます。(略してIB)
では、このIB(belief=信念)に反論していきましょう。

実際に反論してみましょう

では実際に
「彼(彼女)ほどの素晴らしい人に二度と出会うことはできない。そんな私の人生はおしまいだ」
というイラショナルビリーフ(固定的信念)に
・現実性
・論理性
・実用性
の観点で反論していきましょう。

論理性で反論する

「彼(彼女)ほど素晴らしい人と二度と会えない」と誰が決めたのか?
なぜ、一生彼(彼女)ほど素晴らしい人に会えないといえるのか?
その証拠はあるのか?

そのような証拠もないし、誰も彼(彼女)以上の人に将来出会えないという事を言いきれないはずです。

現実性で反論する

もし「彼(彼女)ほどの素晴らしい人と二度と会えない」ということが正しいなら現実はどうなっているでしょう?
出会いのチャンスは皆一回しかこないのでしょうか?

何度も恋愛をして、素晴らしい結婚生活を送っている人も現実にはいますね。

実用性で反論する

「彼(彼女)ほど素晴らしい人と二度と会えない」と思い続ける事でどんなメリットがあるのでしょう?
「彼(彼女)ほど素晴らしい人と二度と会えない」という信念をもつ事自体
何かあなたの人生に役立っているのでしょうか?
この信念を持つ続けても死んだ彼(彼女)はかえってきません。
この信念を持つことで鬱の状態が続くことでメリットが少ないなら、このIBは捨てるべきではないでしょうか?


このようにあなたの信念がIBとわかったらラショナルビリーフ(柔軟な信念)(略してRB)を作ります。
例えばこのようなRBを作ることができます。
「彼(彼女)から振られて事は悲しいことだ」
「しかし、彼(彼女)ほどの素晴らしい人に二度と出会えないわけではないし、私の人生はおしまいな訳ではない」

鬱を乗り越えるには

喪失は取り消せません。
しかし元には戻らないものと受け入れられれば、悲しみは絶望的ではありません。

一旦喪失を受け入れれば、その後の人生をあきらめずに生きていけるのです。

まとめ

いかがだったでしょうか?
まずは鬱を発生させるあなたのイラショナルビリーフ(固定的信念)に気づくのが第一歩です。
その後、鬱に向き合うか、または放っておくかはご自身のやりやす方でよいかと思います。
ただどちらにせよ、ラショナルビリーフ(柔軟な信念)にのっとった行動ができるようにして
いきましょう。

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