欲を断つと人は幸せになれるのか? 仏教、哲学、心理学から見たファイナルアンサーとは?

仏教においても哲学においても心理学においても人の欲望に関しては数多くの
研究がなされています。
仏教などでは欲を断つことで人は解脱し、幸福になるとも言われています。
果たしてそのような事が可能なのか? 
そしてそのことで人は幸せを勝ち取れるの?
そんな事を考えてみたいと思います。

仏教における欲

仏教でいっている教えを簡単にまとめるとこういう事になります。

私たちは欲望の対象を喜び楽しんで、それをひたすら追い続けるという自然の傾向性をもっている。
放っておいたら私たちはそちらの方に流れていくのだが、その流れに乗ることなく、現象をありのままに観察しなさい。そうすれば現象の無常・苦・無我を悟ることができ、それらを厭離(おんり 厭い離れる)し、離貪(りとん 貪りから離れる)して解脱に至ります。

「だから仏教は面白い!」 魚川祐司著


いたずらに欲望を追い求める事により、苦しむのだから、欲望を追い求めない事が人生の幸福につながる。これが仏教における欲に関してファイナルアンサーです。
私もこの考え方には大変共感を覚え、20年ほど瞑想を行いました。
しかし残念ながら欲を捨てる事はできませんでした(´;ω;`)

(質問) ただ存在するだけで十分に満たされているという「この世界における居住まい方」が瞑想なのだから、それは決して別の結果を得るための「手段」にはなりえない、ということでしょうか

(答え) まさにそういう事です。

「だから仏教は面白い!」 魚川祐司著

そう、私のように、そもそも欲を捨てようとか、解脱しようとか、そういう目的意識で瞑想をやっちゃいけないのですね。
ちなみに瞑想とマインドフルネスとはこういう視点で見ると全く違うものだという事がわかります。
前述の通り瞑想は行うこと自体が目的ですが
マインドフルネスはあくまで心を落ち着ける手段です。
ここはよく混同しがちなので、念のため。

哲学における欲

哲学は様々ありますが、ここではニーチェに登場してもらいましょう。

ニーチェの力点は、人間はその欲望の本性(生への意志)によってさまざまな苦しみを作り出す存在だが、それにも関わらずこの欲望(生への意志)以外には人間の生の理由はありえない、という点にある。(中略)
「欲望する存在としての人間は矛盾に満ちている、しかしそれにもかかわらず、この欲望の本性は否定されるべきではない」

「ニーチェ入門」竹田青嗣著

ニーチェはこのように仏教と違い、欲望を否定しません。
また、このようにも言っています。

キリスト教の「禁欲主義」とは、人間にとって、神への忠誠や他人のために尽くす事だけが「善」であり、自分の「快」や「悦び」を求めることは「悪」である、という考え方を意味する。(中略)
ごく素朴に考えて、「他人のために思う事」はもちろん「わるい」こととは言えない。それは人間が社会的な存在である限り、自然な「よい」こととされる理由をもっている。しかしまた一方で、人間が自分の「快」・「悦び」・「エロス」を求めることも、それ自体は「わるいこと」であるとはいえない。それが「わるい」こととみなされるのは、その行為が他人を侵害する場合か、あるいは公共の秩序に反するものとされる場合である。つまり「わるい」の本質は、「他人を害すること」にあるので、個々人が「自分の快や悦びを求めること」自体にあるわけではない。
人間は誰でもまず「自分のこと」を考える。それが人間という生き物の自然性である。しかしまた、自分に余力や力がある場合には「他人のため」に行為しうる生き物でもある。これもまた人間の存在の自然性である。まず自分のことを気遣い、次に他人を気遣う、これが自然な順序である。

「ニーチェ入門」竹田青嗣著

このように、ニーチェは
まず個人の欲は満たすことは自然な事であり、他人に迷惑をかけない限り、それは「わるい」事ではない。
としているのです。
これがニーチェが説いた哲学の欲に対するファイナルアンサーです。

心理学における欲

心理療法の一つである森田療法では

我々の最も根本的の恐怖は、死の恐怖であって、それは表から見れば、生きたいという欲望であります。これがいわゆる命あっての物種であって、さらにその上に、我々はよりよく生きたい、人に軽蔑されたくない、偉い人になりたい、とかいう向上欲に発展して、非常に複雑極まりなき吾人の欲望となるのです。(中略)「欲望が自分を縛る」状態になってしまいます。(中略)よりよくやりたい、よりよく生きたいという生の欲望が強いほど、うまくやれるのか、という不安・恐怖は高まります。(中略)生の欲望は、私たちの苦しみの源泉となり、一方で、生きる力ともなるのです。

「はじめて森田療法」 北西憲二著

このように森田療法においては、
欲は自然なものだが、時として自分を縛り、苦しめる源泉になる
これが心理学、森田療法におけるファイナルアンサーです。

森田療法に関してはこちらのブログも参照してください。

【森田療法とREBT】REBT心理士補が日本を代表する森田療法から学んだ事

森田療法とは日本人 森田正馬(もりたまさたけ)が創始した精神療法です。その名前から新興宗教っぽい印象を持たれる方も多いかと思います。REBTのの日本語名「人生哲学…

欲に対する私なりのファイナルアンサー

このように欲に対して仏教、哲学、心理学の3方向から見てきましたが、最初の
「欲を断つと幸せになるのか?」
に対して、私なりのファイナルアンサーは
欲は生きている以上、なくすことができない。
(少なくても我々一般人においては)そもそも欲を断つことは無理。
そこで欲に対して否定的に扱うより、おおいに肯定して欲を利用して生きていく事が幸せにつながる。
但し、欲望は苦しみを産む事もあるので、その苦しみを逃げずに受け入れ、日々生きていくことが
重要である。

まとめ

いかがだったでしょうか?
是非皆さんもご自身の欲と誠実に向き合い、生きていく事をお勧めいたします。

Follow me!

  • X