【森田療法とREBT】REBT心理士補が日本を代表する森田療法から学んだ事
森田療法とは日本人 森田正馬(もりたまさたけ)が創始した精神療法です。
その名前から新興宗教っぽい印象を持たれる方も多いかと思います。
REBTのの日本語名「人生哲学感情心理学」も十分新興宗教っぽいですが(笑)、REBTと同じく
日本を代表する精神療法です。
REBT心理士補の私がなぜ森田療法に興味をもったかというと
- REBTと同様に「べき」思考を取り扱いますが、取り扱い方がREBTと異なる
- 「べき」思考が現れるプロセスや「とらわれの自己」の考え方が参考になる
といったところがあげられます。
ぜひこのブログを通して、REBTと森田療法に興味を持っていただければ幸いです。
森田療法の創始者 森田正馬さんとはどういう人?
森田療法を創始した森田正馬(もりたまさたけ)(1874-1938)は高知県野市町(現・香南市)生まれた
日本の医学者、精神科神経科医です。
(森田)神経質に対する精神療法である「森田療法」を創始しました。
ほぼ同時代に精神分析学の創始者であるジークムント・フロイト(1856-1939)がいます。
森田も当初はフロイトの理論を学びましたが、その後フロイトの学説を批判するようになりました。
森田がフロイトの学説を批判したものとして有名なのが昭和9年学会の総会時の討論です。
総会席上脅迫観念について講演した森田教授がフロイトの加虐性説を攻撃したのに対して、
日本にフロイトの精神分析を紹介した東北大学の丸井清康は、
「……私どもから見ますと、非常にしろうとくさい印象を得るのであります……」
とやったのでした。
すると森田は
「あやまってすべり、ケガをした所以をも分析しなければならぬというに同じ。
(フロイト)の加虐性説は私はこれを迷信と認めます」
と言い放って、そのまま退場してしまいます。
森田にとっては、
過去の親子関係に悩みの原因を求めず、現在の悩みの現象をありのままに見
そこから悪循環等の心の作用を見出すことがなのです。
したがってフロイトの
「幼児期のトラウマが抑圧された形で存在し、それが形を変えて私達の
症状、悩みをつくる」
として考えが許せなかったのでした。
このような原因を他に求めず自己回復を主眼をおく森田療法はREBTと通じる所が大いにあります。
エリスも自著「現実は厳しいでも幸せになれる」の中でこのように述べています。
「自分を不幸にさせているのは主に自分である。だから自分の不幸を止めることも自分でできる。
絶対にできる」
森田療法が生まれるまで
幼少期の森田は活発、好奇心が強い反面かなり神経質だったようです。
9歳ごろお寺の極彩色の地獄絵を見て、死後の事を思い、死後の恐怖に襲われます。
さらに19歳腸チフスにかかりました。
治癒するが心悸亢進、悪寒戦慄の発作と死の恐怖に襲われ、パニック障害と身体不調に悩まされる
ようになります。
そこで森田は宗教に興味をもったようです。
その他に奇術、迷信、呪詛、骨相、人相の書を読み漁るようにもなったといわれています。
このころ学んだ仏教、なかでも禅と浄土真宗の考え方が後の森田療法を生み出すことになるのです。
25歳になった森田は 東京帝大医科大学に入学。
するとそこでも死の恐怖に基づく多くの身体症状を経験します。
医者の診断では神経衰弱と脚気と診断されて多くの薬を処方されますがあまりよくなりません。
進級試験を真に悶々として勉強に身が入らず悩んでいた時の事です。
森田は父からの学費の送金が遅れたと思い込みます。
そこで森田は一種やけになり、
今まで飲んできた薬を一切やめ、受験勉強に必死に打ち込むと逆に
神経衰弱も脚気も一気に軽快し、成績もよかったのです。
不安から逃げない、注意を外に向ける、目の前の作業に入り込む、
そのために捨て身になる事が自らに心理変化を引きおこしたのでした。
この経験が森田療法の原点となるのです。
実際の森田療法
森田が46歳の時、赤面恐怖症のクライアントを見る事になります。
症例は二十歳の学生で発病は16歳ごろだった。当時、学校では赤面すると大勢で
森田療法を学ぶ 編著:北西憲二
はやしたてることが流行っていたため、赤面恐怖が多くなった。
彼もそのころから発症して、18歳のころから症状がひどくなった。
そのため、人に見られるのが恐ろしくて電車にも乗れず、二里あまりの道を雪に
日でもかならず徒歩で通学していた。そのような自分に悲観し、とても社会の役に
立っていくことはできないと考えて学校を中退、種種の治療を受けた。
しかし効果なく、一時は自殺も考えたが、森田の事を知り治療を受ける事にした
REBTの場合
この時のクライアントの状況をREBT的にまとめると下記のようになります。
※略語の意味
・G…Goal 目標
・A…Activating event 出来事
・C…Consequence 結果
・iB…Irrational belief 不合理な信念
イラショナルビリーフが
「人前で赤面してはならない。人前で赤面する自分は耐えられない」
ですので、このイラショナルビリーフを論駁する事になります。
詳しくは下記を参照ください。
森田療法の場合
では実際、森田療法ではどのように行ったのでしょうか?
第一段階
第一段階ではクライアントは森田の元に入院して過ごします。
一般的にこれを入院森田療法と呼ばれるが、生活ぶりは下記のようなものでした。
「ただ寝てればよい」と臥じょくの注意を簡単にしただけで治療に導入したものと
森田療法を学ぶ 編著:北西憲二
思われる。【中略】
臥じょくは4日で終わった。【中略】
「先生は赤くなるのを止めるのではなく、耐えるのである。
……また人中に出ていくのが怖くなくなればよいではないかと言われた」
【中略】
赤面恐怖に対する処置は何らしてもらえませんでした。
頭痛に対して何ら問題にしてくれません。……私達は朝早くから起き
掃除をして、ごはんを炊き、便所の掃除をしたのであります。
ここでの生活は緊張感があります。…なんの思慮もなくただ体を動かしておる
という作業ではありません。そのようなお使い根性というか形だけの働きぶり
は直ちに見破られて、先生あるいは奥様からやり込められます。
かくして、いつのまにか私達は、対人恐怖も頭痛も消え、時間を惜しみ、物の
性を尽くすという時々刻刻の心の働きに、人生の感激と喜びを味わうように
なるのであります。
頭痛に対してなんら問題にしてくれなかった、というのは「不問療法」
と言われるものです。
「不問療法」とは神経症的思考に治療者が巻き込まれず、あえて不問
とし、それを無力化していく方法です。
そして不問と対になるのが作業への取り組みになります。
作業は主体的であることが要請され、受け身である時には、厳しく指摘
される徹底ぶりです。
不問と作業によりクライアントは生の欲望を取り戻していくのです。
そして治療は第二段階に移っていくのでした。
第二段階
クライアントは森田の元を離れ、一般生活に戻ります。
そして日々の事を日記につづり、森田に見せ、森田がその日記にコメントする
いわゆる「日記療法」を行います。
日記の中でクライアントは
父の勧める実業家の道と芸術家として進む道
との間で激しく葛藤しています。
そこへ森田からの日記のコメントが戻ってくるのでした。
森田のコメントを呼んだクライアントは以下のように述べています。
真の自分は「芸術だ芸術だ」と足も空に駆け回った、あんな浮気なカラ元気ではなかった。
森田療法に学ぶ 編著:北西 憲二
飯を食い始めた。「あなたは芸術品を鑑別する力がありますか」
先生の言葉を想い出して、顔が真っ赤になった。
無残にも私の仮面は打ちはがされた。
もう恥ずかしくて恥ずかしてく耐えられなくなった。
……要するに私はうまい具合に、芸術という仮面を被って、愚な弱い自分を
ごまかしていたのだ。
森田はクライアントの「かくあるべし」と自分縛っていたクライアントの神経症的思考を厳しく
指摘し、その自覚促し、ありのままの自分を受け入れるように介入したのです。
既にお気づきの通り森田療法の「かくあるべし」への介入はREBTの論駁ととても似た考え方だと
いえるでしょう。
森田療法の自己構造
このように多くの共通点がある、森田療法とREBT。
ここでは森田療法が考える自己構造と自己構造に対応させた
森田療法とREBT、のそれぞれの治療法を見ていこうと思います。
森田療法では自然な自己構造を下記左側の三角形のように考えます
土台になっている
内的自然=「現実の自己」であり
無心になった時、ありのままに周囲の世界や心身現象を感じられます。
あるいは目の前の事に没頭している時には、心と身体が自然に動き
自在に行動が可能となります。
内的自然の上の身体があります。これは文字通り私達に肉体を指します。
そして身体に上に
自己意識=「理想の自己」(かくあるべし)
が位置づけられます。
この「現実の自己」と「理想の自己」が協調して、できるだけ自分が
望む方向に近づくのが正常な状況といえましょう。
しかしながら、右側の三角形は逆になっています。
これは「理想の自己」が硬直し、「かくあるべし」と「現実の自己」を
縛っている、そんな自己の在り方を示しています。
繊細で傷つきやすい人の場合、この逆三角形は鋭くなります。
「理想の自分」に対するREBTと森田療法のアプローチの違い
森田療法でのアプローチ
硬直した自己意識(理想の自分)に対して森田療法のアプローチは「赤面を耐えよ」
といいます。
つまり治療は「なにもしない」
しかしこれにもちゃんとした理由があるのです。
森田療法では自分の不安、恐怖、イヤだと思う感情、落ち込み等を
なんとかしようと考え、行動する事を「はからい」と呼びます。
人ははからえばかからうほど、苦悩、不安を強めて「とらわれ」の状態に陥ります。
皆さんも焦れば焦るほど、パニックになった経験があるのではないでしょうか?
あれが所謂「とらわれ」の状態なのです。
(この「とらわれ」に関しては後述します。)
症状を消そうそすればするほど、その症状に振り回されるようになり、また症状は
どんどん高じていくのです。
したがって、森田療法では「理想の自分」に関しては「なにもしない」というアプローチ
を行うのです。
REBTでのアプローチ
一方REBTでは「理想の自分」に対して論駁を用います。
積極的に「かくあるべし」という「理想の自分」に対して、論駁する事で
クライアントに不合理性を気づかせ、適切な考えに変えることで「理想の自分」
から解放されるようになります。
詳しくはこちらのブログを参照ください。
「現実の自分」に対するREBTと森田療法のアプローチの違い
森田療法でのアプローチ
硬直化、巨大化した「理想の自分」の影響を小さくするとともに、「現実の自分」を
文字通り現実に引き戻さなければなりません。
森田療法の場合は前述した通り「作業と不問」を通して、「現実の自分」を取り戻す
ようにクライアントを促していきます。
REBTでのアプローチ
REBTにおける「現実の自分」に対するアプローチは論駁を通して、新しい信念(ラショナルビリーフ)
を定着できるよう宿題をクライアントに出し、クライアントが現実の場でラショナルビリーフを
実感する事で実現していきます。
森田療法でいう「とらわれ」とREBT
上図は森田療法のいう所の「とらわれ」を図式化したものです。
生活世界の刺激から、あるいは内的葛藤によって私達の固有の心身の
不快な反応が現れます。
そのような反応や自己の在り方では今の生活世界に適応できないと
考え、それを何とかしようとします。
この心身の不快な反応に注意が引きつけられ、そのためにその反応が
より鮮明となり、強く感じられ、そのためにさらに注意が引きつけられてしまうのです。
そこには「あってはならない」とあがなう「べき」思考がこの悪巡回に深く関与し、
それが注意と反応の悪循環を強めていくのです。
REBTではこの「べき」思考をイラショナルビリーフと呼んでいます。
しかしながら、REBTでは森田療法のようにここまでシステマティックに「べき」思考の
成り立ちは説明してないのです。
REBTを学ぶにあたって森田療法の「とらわれ」の悪循環はとても参考になるでしょう。
さて、話を森田療法に戻すとクライアントはこの状態に対してあがけばあがくほど、
この反応は鮮明となってしまい、結果としてさらに不安定さが増すことになります。
そしてやがて二つの方法しかなくなってしまうのです。
一つはそのような刺激をさけ、そこから回避する、つまり引きこもるか、他の身近な人に
依存し、何とか安定させようとするか、なのです。
しかし回避するにせよ、人に支えを求めるにせよ、そのことはクライアントの無力感を
強めるだけなのです。
この過度の緊張が続けば、緊張緩和の対処としていわゆる問題行動(リストカット、暴力、引きこもり)
がおこり、それがまた自分の無力感を強めるのです。
もう一つの方向性としては、クライアントが何か行動を起こそうとすると、様々な考えが浮かび、
このように行動したら、このように人と接したらどうなるか、それをどうするか、等と
ぐるぐる考えが回るのです。そしてネガティブな結果を予想し、戦慄し、恐怖を覚え落ち込んで
いくのです。
クライアントは過去の経験に基づき、シュミレーションを行い、あの時こうだった、今後も
そうなるに違いない、と決めつけ、その思考から抜け出せなくなっていくのです。
それは次第に現実から離れ、自己意識の中でぐるぐると周り、現実を離れ、それが心身の不快を強め
悪循環を作っていくのです。
ここでは本来生きる事の原動力となる生の欲望が「べき」思考の奉仕者となり、行動はその道具とあるのです。
これらが「とらわれ」の構造なのです。
森田療法とREBT それぞれ目指すところ
森田療法が目指すところ
森田療法においての目標は「とらわれ」から解放された「あるがまま」の状態です。
「あるがまま」の状態とは
- 恐ろしいものは恐ろしい、それはどうにも仕方がない心の事実であり、それを
そのまま受け入れ、経験する事。まずは苦になりきることで、そこから初めて楽が
見えてくる。その逆はない。 - その苦になり切った時に、それと連動して生きる欲望が自覚され、生活世界での
行動として発揮されるようになる。この二つが密接に関連しながら、私達のダイナミズムが
形成される。 - それは常に変化し、流動する経験であり、それ自体が全体的で、創造的な変化である。
これが「あるがまま」という状態でなのです。
REBTが目指すところ
REBTのめざすところは「生き抜く事」さらに「人生を楽しむこと」です。
詳細は下記の13項目です。
- 自己利益
- 共同体感覚
- 自己志向
- 高い欲求不満体制
- 柔軟性
- 不確かさの受容
- 創造的仕事への献身
- 科学的思考
- 自己受容
- 危険を冒す
- 長期的快楽主義
- 現実的な努力
- 自己の惑乱に対する責任
まとめ
いかがでしたでしょうか?
森田療法もREBTも「べき思考」に対していかに立ち向かうかをセラピーの目標にしていますが
それぞれ立脚する人間理解とアプローチ方法には若干の違いがあるようです。
双方の理論を勉強することでより広い視野のセッションが可能となってくるかと思いますので
是非機会見つけて学んでください。
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