承認欲求を求めてはダメ! 大事なのは自己受容! 自己を受け入れるために必要な考え方とは?
自分で自分の事を認めたい。
他人に自分の事を認めてもらいたい。
そんな気持ちは誰にでもあるもの。
承認を求める事で人は成長をすることができますが、
半面問題を抱える事も。
自己承認を問題を超えるためには自己受容が必要です。
- 自己承認の問題点とは何なのか?
- 自己承認を超える自己受容とは?
をお伝えします。
Table of Contents
承認欲求とは何か
心理学者のアブラハム・マズローは人間の欲求を下から5段階に分類しています。
- 生理的欲求
- 安全の欲求
- 社会的欲求
- 承認欲求
- 自己実現欲求
この5つの欲求はピラミッド構造をなし、低次の欲求
が満たされるとより高次の欲求をもつようになるというのです。
例えば生理的欲求である食欲、睡眠等が満たされると
次により安全な環境に住みたい、という
安全の欲求を満たそうとします。
そして安全の欲求が満たされると次は家族や組織など
の社会的集団に所属したいという社会的欲求を満たそうとするのです。
そして、社会的欲求が満たされると、他者から認められない、
という欲求が生まれます。
これが承認欲求です。
例えば、自分が子供に作った弁当をInstagramに投稿
して、イイねをもらって満足するのは
承認欲求が満たされるためです。
承認欲求の弊害
古代において人類は十分な食料を確保する事や安全な
環境に住む事は大変な努力が必要でした。
しかしながら、現代に住む我々は
生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求
は古代人と比較して手に入りやすい状況です。
そして生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求
を満たされている現代人にとって、承認欲求を満た
そうとする行為はとても自然です。
親から褒められたい。
上司に認められたい。
そんな気持ちがあるから人は努力するのです。
会社での評価制度もこの承認欲求を満たしたいと
いう人の本質をうまく制度化したものと言えましょう。
しかしながら、他人から承認されることを
自分にとって絶対不可欠
と条件づけるのは危険です。
なぜなら他人から承認されない限り、
あなたは困難を乗り越える事も幸福になる事もできない、
つまり一生、他人の支配下に置かれる事になるからです。
あなたは他者からの承認を絶対不可欠を考える
「承認中毒」に陥っていないでしょうか?
承認中毒者の特徴
承認中毒者は以下のような特徴を持ちます。
あなたも心あたる事はないでしょうか?
- 承認されない自分は何か過ちがある、自分は価値がないと考え、自分を責める。
承認されない自分には何か問題があると考え、劣等感を囚われるのが当然
と考えていないでしょうか?
エレノア・ルーズベルトは
「あなたの同意なくして、誰もあなたに劣等感を抱かせる事はできない」
と述べています。
承認中毒者の特性として、他人から承認されないのは自分の価値がないからだと
はなから思い込み、そう認めているために、自分が価値がない人間だと
思わされることに同意してしまっているのです。
そして、承認されない事を理由に絶えず、自分を責めたり卑下したりします。
(例:私は何もうまくできない。私は何の能力もない人間だ)
自分を責め続ける限り、状況は改善されません。 - 他人を承認できなず、妬む。
自分自身が承認されていないと、他人が承認される事を不服に思い、妬みます。
なぜなら「他人が評価されない=自分が評価されていない」と間接的に感じて
しまうからです。
妬みは自分より評価されている他人を非好意的に比べます。
(例:俺はあいつより頑張ったのに、あいつだけ評価されて俺は本当に運がない!)
または、実際は評価されない方がましで、自分の方が恵まれていると納得しよう
とするかもしれません。
(例:あんな大変な部署に配属されてお気の毒に。)
あるいは、評価された他人の足を引っ張たり、邪魔をしようとしたりします。
(例:あいつの仕事を邪魔をしてやろう!)
どの行動も周囲にとってもあなた自身にとっても有害である事は間違いないの
ですが、このような自身で改善することは難しいです。
なぜならで他人を妬むのは事は、周囲から心が狭い人間、敗者だと思われている事
がわかっているため、自分に妬みの感情があることを認められないからです。 - 非難や批判をされたと感じ、怒る。
承認中毒者は
他人から非難や批判を受ける=自分は承認されていない
と考えます。
承認されるべきと考えているあなたは、他人
から非難や批判を素直に受け入れられず怒りを感じます。
怒りを感じた場合、その怒りを非難や批判した
対象に向け、直接相手に対して復讐、報復する事もあるでしょう。
(例:上司と自分の評価に関して言い合いになる)
あるいは、直接の相手に怒りをぶつけることは
せず、間接的に攻撃するかもしれません。
例えば周囲に相手の事に関して陰口や告げ口することで怒りを収めよう行為がこれに
あたります。
(例:同僚に対して「あいつは何もわかっていない」と陰口をいう)
怒りを相手に直接的、あるいは間接的に向けて
行為どちらにせよ、怒りを外に表す事が一番良い対処法だとあなたは思うかもしれません。
しかし、このような気分をすっきりさせる怒りの
表出は、怒りをますます強めるだけです。
なぜなら、怒りを放出すると怒りの根底にあるイラショナルビリーフ(固定観念)が弱まる
どころか強くなるからです。
(イラショナルビリーフに関しては
怒り、不安などの不健康な感情に振り回されなくなるABCモデルって何?
を参照ください) - 非難や批判された事を恥ずかしいという羞恥心、あるいは罪悪感を感じる。
非難や批判を受けると、人によっては怒りより、羞恥心や罪悪感を感じるでしょう。
羞恥心も罪悪感も同じタイプの思考です。
両者の違いは評価が下される場所です。
羞恥心は外的で、罪悪感は内的です。
つまり羞恥心は他人から承認されない場合に
生じ、罪悪感は自分自身を承認しない場合に生じます。
しかしながらどちらの場合の結論も「私はよくな人間だ」です。 - 他人から承認されない事に耐えられないため、決断する事を後回しにする。
承認されることが絶対不可欠と考える人は他人の意見が気になって、
中々決断することができません。
難しい決断であれば、なおさらです。
決断を遅らせた結果、取り返しがつかない事態になるケースもあります。
承認中毒から脱出するための考え方とは?
他人から承認、評価されず落ち込んだり、
他人からの批判や非難で受け入れられない
また、難しい決断を求められると決断せず、後回しにする
このように承認中毒は様々な問題の原因となります。
では、この承認中毒から脱出する考え方をお伝えします。
自己承認から自己受容へ
批判を受けてボロボロになる前に、「承認中毒」から手を切り、批判に抵抗して
立ち向かうためには、自己受容を自分のものにすることが重要です。
すなわち、自分が行った行動だけを評価して、行動が
たとえ失敗しても、あるいは逆に成功しても自分の存在全体の価値は影響されないのです。
(例1:自分は仕事で失敗したが、だからと言って私がダメ人間というわけ
ではない 例2:自分は昇進したが、だからと言って私が人間として優れて
いるとは限らない)
存在全体と行動を切り離して行動のみを評価する態度
が自分自身には、他人に対しても必要だといえます。
要求から願望へ
行動と存在全体の評価を分け、自己承認から自己受容に自分自身への態度を
変えることと同様に自分の要望を願望に変えることも重要です。
要望は欠乏感から生じます。
つまり、要望とは幸福になるためにはもっとこれが必要だ、または、
自分が価値がある人間だと思うためにはあれがいる、
というように人生には何かがなくてもならない信じ込んでいることです。
この固定観念はあなたを少しも幸福にしません。
これがあれば必ず幸せになるというものがこの世には存在しないためです。
何かを得れば、一時的に幸せを感じる事はあるでしょう。
しかし、その幸せ感は一時的なものです。
他方、願望はその人自身の選択に基づきます。
つまり、自分にとってできれば手に入れたいもの
ですが、幸福な人生あるいは有益な人生を送るために、必ずなくてはならないと主張するほどではも
ないのです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
我々現代人はとかく承認を求めがちです。
それが度を過ぎると「承認中毒」にもなりかねません。
「承認中毒」にならないよう、「自己受容」を手にいれましょう。