名言「置かれた場所で咲きなさい」って本当に正しいのか? この言葉を検証しながら自己受容に関して考えてみた。
「置かれた場所で咲きなさい」という本がありますね。
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。時間の使い方は、そのままいのちの使い方です。自らが咲く努力を忘れてはなりません。雨の日、風の日、どうしても咲けないときは根を下へ下へと伸ばしましょう。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるように。心迷うすべての人へ向けた、国民的ベストセラー。新シリーズ!こころの文庫。
amazon.co.jp 商品の説明より抜粋
本当に人は置かれた場所で咲かないといけないのか?
今回はこの「置かれた場所で咲きなさい」を検証しながら自己受容に関して考えていこうと思います。
Table of Contents
置かれた場所で咲く事はできるのか?
まずは「置かれた場所で咲く事ができるのか?」
という事から検証していきましょうか。
プログラム開発希望で入社した新入社員のA君が配属されたのはまさかの営業部。
それでもA君は
「置かれた場所で咲きなさい」を思い出し、「この営業部こそが今の僕の居場所なんだ」と思い、がんばって営業にせいをだします。
その結果……
結局ノルマが達成できず、鬱を発症して、3年後退社してしまいました。
いやいや、置かれた場所で頑張って、結果を出す人だっているだろう!
A君は根性がなかっただけ。
という意見もあるでしょう。
だけで置かれた場所で咲くことができない事実もある。
もっというとあくまで私の主観ですが、置かれた場所で咲ける人の方が少ないと思うのです。
しかもA君の場合はプログラム開発希望で入社したのだから、営業部への配属はショックだったはず。
営業部に適応できず、鬱を発症するのは致し方ないのではないでしょうか?
理想はどうあれ、「置かれた場所で咲く事」は多くの人にとって難しいのではないでしょうか?
置かれた場所で咲くメリットはあるのか?
では次は「置かれた場所で咲くメリットはあるか」について考えてみましょう。
営業部に配属される事でプログラムを開発という業務視点ではなく顧客視点でみるという事はできるようになるかもしれませんね。
だけどよく考えてください。
プログラム開発は日進月歩。
営業部にいる数年で開発部に配属された同期との実力差はドンドン開いていく結果となります。
置かれた場所で咲くメリットはあまりなさそうですね。
置かれた場所で咲きなさい の一番悪い所
置かれた場所で咲くこともできず、そのメリットもない。
そんな
「置かれた場所で咲きなさい」ですが、私がこの言葉の一番悪い所
それは
自己否定を助長する
というものです。
というのも
「置かれた場所で咲きなさい」という事をより深く考えると
置かれた場所(仕事の配属先)で咲かなければ(活躍できなければ)いけない。
もし置かれた場所で咲けなければ価値がない。
という事になりませんか?
このもし置かれた場所で咲けなければ価値がない。とは自己否定そのものなのです。
自己否定につながる「置かれた場所で咲きなさい」をどのような変えればよいのか?
では、この「置かれた場所で咲きなさい」を自己否定にならないように変えてみよう。
それは
「咲ける場所に飛んでゆけ!」
である。
そこで咲けないと思うのであれば、咲ける場所に飛んでいけばよい。
咲ける場所に飛んでいく自由は誰にでもあるのだから。