本当の自分を受け入れるには?「べき思考」の罠を乗り越え、ありのまま自由に生きる術
私たち人間は、地球上の生命の中でも特異な存在といえるでしょう。
動物たちの中で、私たちだけがこんなにも高度に自己を認識し、自己を対象として捉える能力を持っています。
この特性は、私たちに未来を予測し、自らの行動や環境を改変する力をもたらしてくれます。
例えば、技術の革新や文化の進化を見れば、人間が未来に向けてどれほどの変革を果たしてきたかがわかります。
しかし、この変革の力は、同時に私たちに課題や代償をもたらしているのです。
自分や世界をより良くしようとする中で、時に私たちの欲望や感情は抑圧され、禁止されます。
未来を追い求める過程で、真の自己受容を見失い、外部の評価や期待に縛られる生活を送ることが増えているのではないだろうか?
このブログでは、そのような現代人の課題と、真の自己受容への道を探求していきたいと思います。
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自己実現をする力とその代償
人は自己実現を通して生きがいを感じる存在です。
しかし、その過程で直面するのは、私たちの内なる欲望との葛藤です。
より良い収入、生活を得るために、社会の期待や規範に合致するようにと、自分の内なる多くの欲求や感情を知らず知らず抑圧してしまう。
これは、未来を追い求める中での代償とも言えるでしょう。
私たちが日常の中で直面する感情の中には、抑圧された欲望が隠れていることが実に多い。
考えてみてください。
欲望や感情を表現することが「いけない」と思わされてきた瞬間、それは内部へと押し込められ、認識から遠ざけられます。
しかし、その抑圧された感情は決して消えるわけではなく、深い部分で私たちに影響を及ぼし続けます。
この結果として、私たちはそのような欲求を持つ自分を「恥ずかしい」と思い、そんな自分は「価値がない」と自己評価を低くしてしまいます。
なぜなら、抑圧された自分を真正面から受け入れることが難しくなるからです。
その受け入れられない感情や欲望を「恥」として自覚されると、私たちはこのように考えるのです。
「私は○○であるべきだ」
そして、
「そうじゃない私は価値がない」のだと。
これがいわゆる「べき思考」からくる自己否定のメカニズムです。
では、そもそもこの「○○であるべき」という「べき思考」はどこから来たものなのでしょう?
「べき思考」という罠
私たちが持つ多くの考え方や価値観は、親から、学校から、そして社会から知らず知らず押し付けられたモラルや道徳に強く影響されています。
「私はもっと努力すべきである」
「他人に迷惑をかけるべきではない」
「男は強くあるべき」
「愚痴はいうべきでない」
このように「べき思考」は自分自身の内からきたものではありません。
社会から教え込まれた、外からきた思考です。
この「べき思考」は、社会生活を営む上でとても重要であることはいうまでないでしょう。
もし、私たちがこのような「べき思考」を持たないと人々は無秩序に行動し、私たちの住む社会はバラバラのものになってしまいます。
しかし一方で「べき思考」は私たちにとっての自分自身の真の価値や幸福を見失わせる要因となり得るのです。
というのも
「べき思考」というのは自分自身の外から来た思考であるため、(たとえ実際に他者が評価を下さないとしても)
知らず知らずに自己の価値を外部の評価や他者の期待に依存しているといえるからです。
そして前述したように自らの心の声や真の欲望と葛藤を引き起こし
「○○すべきなのに、○○できない私は価値がない」という自己否定につながるのです。
したがって真の自己受容のためには、「べき思考」の罠を見極め、それを超える視点が不可欠です。
自分の中の真実の声を信じ、外部の評価や期待から自由になること。
それが、
私たちが真に満足し、充実した人生を歩む鍵となるのです。
真の自己受容への道:欲望を認め、偽りを超える
人は自分にとって望ましくない出来事に遭遇した時、時に不安や怒りや自己嫌悪等多くの不健康なネガティブな感情をもちます。
そしてこれらの感情は自滅的な行動の原因ともなるのです。
しかし、自分にとって望ましくない出来事と感情にはその出来事のとらえ方(イラショナルビリーフ)が介在しており、
ビリーフを変える事で不健康でネガティブな感情を健康的でネガティブな感情に変え、その結果自滅的な行動を
適切な行動に修正できる。
これがREBTの手法でした。
しかし、イラショナルビリーフを変える事はそれほど簡単なものではありません。
なぜなら根源的に自分を真正面から受け入れることのできない感覚がそこには隠れているからです。
自分の本当の欲望や感情を抑圧し、偽りの自分を演じ続けているうちはイラショナルビリーフに執着してしまい、変えるのは難しい。
ビリーフを変えるには偽りの自分から解放され、真の自己受容を得る必要があるのです。
感情に関しても同様の事が言えます。
ネガティブな感情を持つこと自体は自然な事で、さほど問題ではない。
問題なのはネガティブな感情を持ち続ける事、そしてその感情に執着してしまう事にあります。
例えば満員電車で他人に押されて、怒りを感じるのは当然な事。
健康的でネガティブな感情といえるでしょう。
しかし、押された事実に怒りを感じ続けると、あなたは相手にやり返そうと思うかもしれない。
そうなのです。
健康的でネガティブな感情もその感情に執着すると、不健康でネガティブな感情になりうるのです。
イラショナルビリーフにもネガティブな感情にも執着しない。
そのためにはまずは、自分の欲望や感情を隠さず、ありのままの自分を認める勇気を持つことが求められます。
自分の弱さや不完全さを認識し、それでも自分を受け入れることができる強さです。
この過程は容易ではありませんが、その先には真の自由と自己受容が待っています。
モラルや社会の枠組みに縛られず、自分の心の声を信じること。
それは、私たちが真に充実した人生を手に入れるための第一歩となるでしょう。
自己受容の真髄:偽りのない自己への接触
私たちの中には、偽りの姿を取り繕うことで、痛みや苦しみから逃れようとする本能があります。
その結果、真の自己から遠ざかることで、一時的な安堵を得ることができるかもしれません。
しかし、その安堵は短命であり、長期的な満足感や安定をもたらすことはありません。
偽りの自己とは、
他者や社会の期待に応えようとする自分、
自分の欠点や弱さを隠そうとする自分、
理想の自分像に合わせようとする自分など、
さまざまな面を持っています。
しかし、そのすべては、真の自己からの遠ざかりを意味するものです。
真の自己受容を追求するためには、これらの偽りを手放し、真の自己に深く触れることが不可欠です。
それは、自分の感情や欲望、夢や希望を誠実に向き合い、それを受け入れるプロセスを意味します。
この接触を通じて、私たちは真の意味での自己受容と、深い満足感を得ることができるのです。
自分を受け入れる:積極的な変容のステップ
自己受容の道のりは容易ではありません。
多くの人が自己批判や自己否定に苦しむ中、真の自己を受け入れ、その価値を認識することは一つの挑戦と言えるでしょう。
しかし、この挑戦を乗り越えることで、人は自分自身との関係を再定義し、より健康的で充実した人生を築き上げることができます。
では、自分を受け入れるための具体的なステップは何でしょうか。
まず、
自分の過去の経験や現在の状況、未来の夢や希望、そして何より自分が今まで恥だと感じていた欲望に誠実に向き合うこと。
ありのままの自分であること。
それを通じて、自己の内部に潜む価値や可能性を見つけ出すことが重要です。
次に、その価値を受け入れ、それに基づいて行動すること。
自分の内部から湧き上がるエネルギーや情熱を信じ、それを生かす方向を模索することが求められます。
そのためには自分自身との対話を深めるための習慣を日常に取り入れることです。
これらの習慣を継続することで、日々の中で自分の価値や意義を再確認することが可能となります。
まとめ
いかがだったでしょうか?
ありのままの自分でいる事、その自分を受容する事がいかに生きる上で重要か、ご理解いただけたかと思います。
しかしながら、ありのままの自分であるためにどうすれば良いか?
悩まれる方も多いのではないでしょうか?
そこでありのままの自分でいるためのヒントを次回のブログ以降でご紹介していきます。